|
遠藤孝之 ストーリー
私がこの仕事に就くことになったのは私が22才の時に起こした自動車事故に由来します。
その事故とは小型自動車で農道を走っているとき、十字路で運送トラックが私の車の運転席側に激突、その勢いで田んぼに転落さらにそのトラックが頭上から車の上に落ちてくるというもので、現場を見た人達は中の人間は即死だと確信したそうです。奇跡的に命拾いをましたが、肩関節の骨が複雑に割れていてボルトでの固定手術が必要でした。
医師の診断では全治した後も右腕は肩より上には上がらないだろうと・・・。
私自身は医者の言うことを信んじず自分の腕は絶対に動くようになると無理やり思い込み、手術前から、こっそりとゴムボールをにぎにぎとリハビリを始め(手術前からリハビリ?)
退院後も医師の指示の倍以上のペースで毎日リハビリしていました。その甲斐あってか今は何の不自由もなく野球もするしテニスもれます、天候も身体に影響しません。
ただ、その時から何となく感じていました。人間の身体には現代医学でも計り知れないすごい力があるんじゃないかと。(この頃は自分が施術師になるとは、これっぽっちも思っていませんでしたが!)
私は1996年まで市役所の職員として働いていました。
ただ、自分は公務員という組織の中で働き続けることに疑問を感じてしまったのです。
もちろん公務員は市民への奉仕者であり、日本の社会を担う立派な仕事です。しかし「自分は本当にこのままで満足なのか?」そんな思いが何年もの間つきまとっていました。
そんな中、昔の事故の感情が湧き上がり、その思いから踏み出したのが整体の道でした。やはりこの世界は奥深く、途中いろいろと思い悩んだりもしましたが私の師匠をはじめ、素晴らしい人たちとの出会いや、多くの助けにより現在に至っております。
幸運にも最高の師匠との出合いや自身の向上のために力となってくれた方々との縁に感謝するとともに、何よりも私の自分勝手な思いと行動に理解を示してくれた妻に大変感謝しております。
「公務員を辞めてやりたいことが・・・」と妻に告げれば、間違いなく猛反対されると覚悟していました。
ところが「自分に合わないと悩む仕事を無理して続けなくてもいいよ」と平然と言ってくれたときは、逆に私の方が驚き唖然としてしまったことは忘れられません。「でも次は無いからね」と念は押されましたが
2002年に開院以来、遠藤整体院 オステオパシー研究所は地域ダントツ一番を目指すという過信と自負のもと、たくさんの方に支えられて成り立っています。
家庭においては、親バカならぬバカ親と言われつつ子どもたちの成長を喜び、思いもよらない出来事に悪戦苦闘しながらも、楽しく生活しております。
更なる技術と心の質の向上と共に、気楽に来院できるフレンドリーな整体院をつくっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2002年 遠藤整体院創設の年
(光太,当時2才 太郎,当時6才)
アンデルセン公園にて,息子と
|